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執筆者の写真SATO Takayuki

自己を出すこと始めます

若い頃からどちらかというとシャイなほうで、今でもわりと照れ屋である。 同時に目上の人からは、「アピールが下手。もったいない」などとも言われた。 まあ、そのうちに何か自信を持てたらアピールするようになるんだろう…などと他人事のように考えていたが、50代半ばを過ぎても一向に自信など持てない。 従って、アピールも下手なまま。 今で生きてきて人との付き合いもそれなりにあったが、いつも辟易するのはやたらと自信に満ちた人。そして「自慢」をする人。 「自慢」などというのは、他人が認めてくれない人が苦しまぎれに吐き出すものだと思う。 仮に充分な業績や歴史を持つ人が「自慢」をすると、たちまち安っぽくなってしまう。 基本そんなふうに考えているので、自分自身のことを(マジで)語るのはなんとなく卑しいことだと思ってきた。 その結果、聞き上手などと言われることもあるが、自分を見せずに人ばかり見ている、というような批判もあるだろう。 まあしかし、この歳になると友人知人に急逝する人も出てくる。 自分がそうなった時のために、my historyめいたものをひっそりと書き留めておくのもいいかもしれない。 そしてそれがなによりも、人生の終盤に向けての自分へのケジメ、あるいは進路を見出すことになるような気がしている。 そう。 人生始まって相当の時間が経ったのは確かだが、これがいつ終わると決まったわけではない。 まだまだ何か実を結べそうな気もしている。 今までそれなりに溜めてきた養分やアクや毒、そろそろそれらを出し始める時が来たと思う。 モノ好きでヒマな人は、お付き合いください。

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