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  • 執筆者の写真SATO Takayuki

Kamasi Washington

Kamasi Washington



ここ数年でいちばんハマっているjazz。

「スピリチュアル・ジャズ」として宣伝されて、ジャズ界を席巻した感がある。

カマシのテナーサックスは、ファラオ・サンダースを彷彿とさせるフリーキートーンとやや荒れた(割れた?)音色、そしてコルトレーンに通ずるスピリチュアリティが特徴だと思う。

まあファラオにしてもコルトレーン門下生だし、もともと「スピリチュアル」なんだけど。

しかし、「スピリチュアル」ってなんだろ?

僕自身は人間も動物植物も霊性をもつものだと思っているが、「スピリチュアル」と書かれるととたんに胡散臭く現実逃避、あるいは「勝手にイッちゃってる」感じがする。

まあ、西海岸の自由さととらえたほうがいいのかもしれない。


カマシを知ったのは二年前、札幌のPROVOというクラブで。

アイヌの姉妹デュオ「Kapiw&Apappo」のライブ終了後、関係者打ち上げに参加させてもらってカウンターで飲んでいた時のこと。

巨大なPA用スピーカーから絶妙な音量でどの曲だったか忘れたが流れだした。

おっ、カッチョイイ!と思い、DJでもある店のマスターに誰なのか聞いてみた。

「カマシですよ、カマシワシントン」

と彼は澄まして答えたので、そこそこメジャーなのかと思った。

隣で話していたチューリヒ大学の先生も、かなり感じ入ったようで「カッコいいですねー」と聴いていた。

東京に帰って早速三枚組の大作「Epic」を買った。

ヴォーカルが入っていたりポップなところもあるが、真っ当なジャズ、ホンモノだと思った。

以来、ずっとこればっかり。


バンドとしては、変わった編成。キーボードが二人いるのは珍しくないが、ドラムスもふたり、さらにベースもふたり。そしてギターはいない。

ツインドラムスのバンドはいくつか知っているが、これほど有機的にうまくいっているのはないと思う。

だいたいはどちらかがリズムキープのサブ的なものになりがちだったり、単純な役割分担や叩き合いになると思うが、これは違う。それぞれ腕っこきのふたりが違ったリズムを刻みそれが絶妙に絡み合っている。もともとドラマー志望であった僕にとっては堪らない。

それぞれのテクニックもさることながら、強力な演奏をしながらも全体のアンサンブルを壊さない。というよりも、それを許容するバンド全体のスケールのデカさだろう。

ツインベースもしかり。

ウッドベースのマイルスとセミアコ六弦ベースの天才、サンダーキャットはともに超個性的。

小節を軽々と飛び越えるサンダーキャットのベースソロはまったく異次元。

そしてキーボーディストとピアニストも趣は違うがどちらも譲らないタイプ。

よくこれだけのメンバーをまとめあげたものだと思う。

演奏はもうやっぱり、圧倒的。

ユーチューブでライブの演奏を見て、これまたビックリ。

ストリングスやクワイヤ陣、パーカッションふたり、さらにはDJまでいて5〜60人もステージに上がっている。床が抜けないか心配になる。


「これはjazzではない」という向きもあるようだが、僕はそう思わない。

ホンモノであることは確か。

それにjazzってもともといろんな要素を取り込んで変わってきたものでしょう?

音楽にかぎらず、そこには「ホンモノ」と「ニセモノ」があるだけだと思う。 https://www.youtube.com/watch?v=0YbPSIXQ4q4

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